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「一線を越える」って昭和チック

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最近テレビを見ていたら初めて見たときは子供だったアイドルがママになり、議員になり謝罪会見をしていました。

で、その中で笑ったのが「一線を越えていない」発言。

「一線を越える」って、なんとも昭和チックで、この平成にそんなこと気にする人いるのかなっとか、もう「死語」に近い言葉を使う恥ずかしさってないのかなっとか、彼女は以外に昭和の人間なのかといろんな「?」がわいてきました。

さらには、その後のお相手の会見時、レポーターたちが必死に連呼する「一線を越える」発言も失笑でした。昭和どっぷりのレポーターがわかりきっている「一線を越える」という内容の中身を問いまくる姿。思わず日本って平和だったのかと錯覚させられると同時に、昔見た映画を思い出しました。

それが、「恋に落ちて」

ロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープが主演の映画で、内容はわかりやすく言えば「W不倫」の話。でも、当時は「大人の純愛」として受け入れられ高校生になったばかりの私もこの世界観に引き込まれました。

この映画で私が学んだのは「一線を越えないことの罪」

映画の中でデニーロが妻に自分に好きな人がいることを告白するシーンがあるんですが、その中でデニーロは妻に言います。

「彼女とは何もなかったんだ!」=(一線を越えていない)

それを聞いた16歳の私は、その発言で妻は安心すると思ったのですが、次に衝撃を受けることになりました。

「一線を越えていない」発言を聞いた妻は、なんとデニーロの頬を平手打ち。そして言います「その方がもっと悪いわ!」

私は、このときはじめて知りました。一線を越えるだけが浮気ではないと。肉体的なことより精神的なつながりが妻を傷つけることを。

「うわ!大人って大変~」と思いながら「不倫なんて汚い」と思っていた女子高女子の私は一変で「大人の純愛」に目覚めました。

未だにこの映画はW不倫の映画でなく、純愛物語だと思っています。

この映画の印象が強烈過ぎたのか、私は「結婚していても双方が求めるなら新しい道を選んでもいいのでは」という考えを持っています。もちろん、その代償は払ってもらわなければなりませんが^^

アイドル議員の騒動のおかげで、好きだったラブストーリーを思い出せました。それと、「恋っておちるもの」だってことも。

自分の生活を安定させるためや、世間体、親を安心させるために結婚を求めるより、まずは「恋に落ちる」ことを求めてもいいのかもしれませんね。むふふ。



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by yuristyle | 2017-07-30 09:46 | |― 色恋はなし

脳活ライフプロデューサーの山下ゆりです。衣食住から脳を快適な状態にし、愛と仕事を手に入れる「ELT脳活メソッド」をお伝えしています。  


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