限度を超えることがくれるもの
2013年 05月 24日
昔、山咲千里さんのトークショーで聞いた話↓
一度、限界までメイクしてみよう。
目もこれでもかってくらい、塗って塗って塗りまくって、
鼻筋も立てて立てて、マスカラも、もう重い!ってくらい塗ってみよう。
そんな風に、限界までやりきったら、どの辺の顔が一番キレイで、どんな風に塗ればいいか、
いろんな加減がわかるようになるからって話だった。
私も、早速帰って塗り塗り。
どこぞの舞台女優みたいになったが、憧れのおめめパッチリに生まれ変わった私は、かわいいかも~なんて思った一瞬があった。
もちろん、私がかわいい~と思えるまでメイクをすると、あまりの厚塗りに引かれてしまうので実際に外出することは不可能だった。
でも、千里さまの言うことは一理も二理もあると思った。
頑張るって意味じゃない限界までチャレンジするってこと、なんだかいい効果があるよに思う。
先日、常識から絶対に外れたくない!普通がいい!目立たない生き方がしたい!
それさえできれば望みはないという人に出会った。
人がどう生きたいと思うか、全くもって自由極まりない。
ただ、私は人生のあるひとコマ、ハメを外していたと思う瞬間があることを嬉しく思う。
思えば、バブル絶頂期の頃。
私は、派手スイッチが入り、今思うと恥ずかしい思考を持ち、滑稽な行動に出ていた。
まず、身の回りのものを選ぶ時は派手であるかが基準だった。
化粧で言えば、眉毛はまっ黒、極太、目はムラサキ、唇も人を食った後みたいな真っ赤でギラギラ。
服で言えば、背中が逆三角形に大きく切り取られたピンキー&ダイアンのスーツ、カラダのラインがビチビチに出るノーベスパジオの全身タイツみたいなワンピ・・・わかるひとにはわかる、恐ろしく派手派手な服を毎日着ていた。
学校が終わって、行くところと言えば、ディスコ。
※注:ディスコとは、見ず知らずの男女が、音楽に合わせて自由に、または、決まった踊りを踊るヘンな場所。そこは、服装チェックなどがあり、基準に満たない服装、容姿だと入口で入れてもらえない事もあるハードな場でもある。しかし、男女が出会うにはとっても好都合な場。
ディスコでは、いかに自分がいい感じに見えるかが大事で、お立ち台に上がるにはちょっとした勇気がいったが、私は全然平気に台の上にあがってクネクネしていた。音感のない私は、きっと、ブサイクな踊りだったに違いないが、自分を鍛えて、祇園のマハラジャに行くことが大きな目標だったような気もしなくもない。(当時、ディスコにはランクがあり、関西の頂点は祇園マハラジャだった)
お鼻もグンっと高かったし、肩で風も切っていた。自分はなんでもできると思っていたし、自信も充分に持っていた。そんな大した身分でもなく、フツ―の短大生なのにである。
しかし、今振り返ると、そんな滑稽な時代に自分が得たものは大きく、あの感覚があったから、今に生きているというものがたくさんある。
だから、おバカな時代も、ハメを外すことも、100%悪いということはないのではと思う。
限度を超えたところにしか見えないものもあるし、失敗がくれる成功もある。
それに・・・人生を振り返った時、笑えるネタがひとつ増える可能性もあるし。
by yuristyle
| 2013-05-24 21:03
| |― ○○なあなたへ